連日猛暑が続いていますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。体調管理には十分お気を付けください。
さて先日我孫子にて開催された「日本民藝夏期学校」の模様をご紹介させていただきます。
 民藝夏期学校とは、「民藝」の本旨を伝えるため合宿形式で、「民藝」に触れる各種の勉強会を日本全国各地で開催しているものです。今年は、柳宗悦、兼子夫妻が我孫子に来てちょうど100年という節目の年ということもあり、我孫子での開催は、非常に感慨深いものがありました。
 1日目は、アビスタでの開校式、公開講座が2講座でした。
 まず志賀直邦校長、続いて星野市長による挨拶があり、公開講座が行われました。志賀直哉、柳宗悦と縁のある志賀校長の挨拶の言葉一つ一つに参加者は、我孫子という地で育まれた白樺と民藝運動の息吹を感じていたようでした。

まずはじめの講座は、日本民藝館学芸部長の杉山享司講師による「柳宗悦と『白樺』」です。
 杉山講師は講演会冒頭に次のように柳の人生の歩みを語っています。

「我孫子で道を見つけ、韓国で始まり、京都で学び、東京で育った」
 柳は1914(大正3)年我孫子に来たまさにその年に、朝鮮陶磁器「染付秋草文面取壺」と出会い、朝鮮への思いを強くし、朝鮮陶磁器をもたらしてくれた浅川伯教の縁で弟浅川巧と出会い、朝鮮陶磁器をはじめ、朝鮮の工芸品に魅せられていきます。そして我孫子を去った後、京都へ移り、濱田庄司を介して河井寛次郎と親交を深め、「民藝」の造語へつながります。そして東京にて日本民藝館を設立し、民藝運動の拠点として現在もなおその想いは続いているといえましょう。
「民藝運動の種が、この我孫子の地で蒔かれた」
 100年前にここ我孫子で蒔かれた種が芽吹き、今もなお成長を続ける民藝、白樺の息吹を学ぶことができた講演でした。
 続いて作家の多胡吉郎講師による「柳兼子のこと~時代との関わりの中で~」です。
 多胡講師は、冒頭次のように述べられました。
「音楽が音楽を超える瞬間(とき)がある」
 
 声楽家、柳兼子は夫宗悦を支えながら、声楽家としての活動を続けていた。我孫子時代は、子育ての地、また夫宗悦は、もちろん志賀、武者小路、リーチらとの交流の中で家事に追われる中で活動しており、兼子の音楽にかける情熱を感じることができるだでしょう。
 多胡講師は1920(大正9)年京城(現ソウル)で開催された独唱会を中心に兼子の歌への情熱、あるいは夫宗悦と朝鮮への思いを合わせながら、柳夫妻の朝鮮との関わりを詳しくご紹介くださいました。もうすこし時間があればと、兼子へのあふれる思いが全身からにじみ出ているのが印象的でした。